高崎ハリストス正教会 主の降誕聖堂
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●高崎教会の沿革 | |
明治11年 | 2月に伝教者アンドレイ矢附氏が高崎に旅宿し講話を開いたところ、 数多の人々が来聴し勢盛になり、市内に説教場を設け毎夜講話するようになりました。 |
6月、司祭パウエル沢辺氏の巡回に際し12名が洗礼を受け、これが高崎正教会の創立のはじめとなります。 | |
明治12年 | 3月に司祭佐藤氏巡回の際に7名が洗礼を受け、同月下旬に柳川町に仮会堂を設けました。 翌4月、ニコライ大神父巡回の際には18名が受洗。司祭巡回のたびに受洗者が増していきました。 |
明治13年 | 1月26日夜高崎に大火があって信者の家も6戸延焼し、このため布教することを妨害され説教講義も久しく廃止となって教会衰微となります。 仮会堂も維持出来ず、信者の家を仮会堂としました。 |
明治16年 | 豊岡墓地、柳川町13番地に地所および居宅を購求。 |
明治32年 | 群馬県知事に教会堂が既設届け提出。 |
明治33年 | 降誕祭の来拝者100人余 |
明治37年 | 復活祭に初めて4声の聖歌。 |
大正3年 | 高崎正教会建立。成聖式はセルギイ主教(後府主教)。 |
大正12年 | 関東大震災の時、壁に大亀裂できる。 |
昭和38年 | 高崎教会を下小鳥町に建立する。 これが現在の主の降誕聖堂です。 |